Kirra NEWS no.9 |
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箱物
木工仕事は大別すると箱物と脚物に分けられる。箱物とは箪笥などのことで簡単な棚もこの範疇に入る。脚物は椅子やテーブルのことだ。通常、伝統的な工法の職人の場合どちらかの専業になる。どちらも奥が深いし、両刀使いでは能率が上がらないからだ。以前「箱物を作るなら弟子入りしたほうがよい」と聞いたことがある。独学ではつかみづらいノウハウがあるのだろう。両方独学の私としてはどちらも困難であると感じている。
箱物の難儀なところは六面を被うため膨大な材料がいることだ。しかも均等な板にするため、鉋屑はみるみるたまり、端材は積まれていく。おそらく、さほどの反りもなく製材、乾燥された板でも3割以上は鉋屑、鋸屑に消えていく。勿論仕事量も多くなる。
江戸時代の庶民の暮らしでは、箪笥や長持ちがあるのはたいそうなことだったらしいが、衣装持ちというだけでなく、箱物は高価であったろう。現在は製材機があるが、当時は手鋸で板にしていたわけでその労力は大変なものだったろう。その板が乾燥で反ってしまってはまた手間なので、良材のみを柾取りしていたと想像できる。
九州の木工の先輩は箪笥屋で修行した後独立した。「箱物はつまらん」と言っていたが、それは『できる』からで、機械的な作業の部分が多過ぎるのだろう。私の場合脚物が先行していたので、大変だが面白いのだ。
現在は恐ろしく安価な箱物の家具が出回っていて住空間を安っぽくしている。これらの家具には伝統的な箱物のノウハウは必要ない。接着剤とネジの仕事なのである。
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桂(かつら)
今回桂を使って小さな箪笥を作ってみた。全国に分布しているが数は少ない。高知の市場でも見かけることはあまりない。柔らかく細工物や彫刻に使われる。赤みがかっていて、朴(ほお)の色違いやなあと思っていたが、少し違うようだ。刃物が良くかかるので鉋がうまくなったように感じる。山歩きをしている人なら谷沿いに赤い芽吹きをし、黄緑色のハート形の葉をつける樹、といえば思い当たるのではないだろうか。この材は3年ほど前に手に入れたものだが、その経緯を書いてみる。
それは、製品(製材された木)の市場の『土場』に相当前からあった。雨ざらしにすると木も傷むので通常は屋内に保管するのだが、長いこと買い手がつかないと、また図体のわりに単価が安いと、こうゆうことにもなるらしい。聞けば全長4m、直径1mを大割にしたもので桂だという。気にはなっていたのだが、駆け出しの頃はとうてい手の出るものではない。
市場で少しは顔がきくようになってから、馴染みの製材屋にどんなもんか聞いてみた。製品には屋号がうってあるので持ち主は一目瞭然なのだが、私のような小僧が直接聞くと、すぐに足元を見られてしまう。ここはワンクッションおくのが賢明である。かくして意外な安値で手に入れた。その製材所で小割にしてもらったが、やはり傷みはあったものの良い板がとれた。しかし賃挽料の方が高いのである。少し文句を言うと「そりゃあ、商売やも」とのことだった。まあ良材は少々のトラブルがあっても、まるくおさまるのである。
後日、同年輩の木材商に「良い買い物をしたね」と言われた。彼も目をつけていたらしい。製品の市場の客は、大工や木工所だけでなく同業者が独自の視点で再度製材して市場に出したり、その得意先に応じて買い付けることも多いのだ。このところ私もだいぶん目利きである。
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パソコン
ワープロを使い始めて十年、パソコンに換えて3年になる。昨年はパソコンをマスターしようとスキャナーやプリンターも買ったのだが埃をかぶったままだ。このような機械がはたして必要なのかはなはだ疑問である。いやまあ自在に扱えればいいのだが、年に数回の使用と、マスターにあたっての労力の対価を考えると怪しいものだ。まあこのように文章を書くにはどちらかといえば元がとれるかな。しかし、もう少し字が上手ければ手書きでもよいわけだ。もともと木工は典型的なローテク仕事で私自身もアナログ人間だ。
ニ十年近く前、東京でデザインの仕事をしていた頃、最先端の事務所でもまだコンピューターは導入されておらず、重要な文書は活字印刷機なるもので打っていた。海外への書類はタイプライターである。バイリンガルの女性が目にも止まらぬ早業でタイプするのに見とれていたものだ。
ある日、IBMからコンピューターのデモンストレーションのお誘いがあり、皆は物見遊山で出かけたのだが、私は手掛けている自動車のホイールの図面を持参して、何日で立体映像に出来るか聞いてみた。一ヶ月とのことだった。当時デザイン検討用の木製モデルを木型業者に発注すると2週間、20万円で出来たので、お話にならなかったのだ。しかも実物大の模型とテレビ映像とでは説得力が違う。まだまだパソコンの黎明期であった。
話はそれてしまったが、仕事で使う人は別にして、酒飲みにパソコンのマスターは無理である。友人は「夜なべしてマスターせよ!」と言うが、私のような肉体労働者は酒飲んでぐっすり眠ったほうが良いのだ。
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ドラフタ−
ドラフタ−とは製図板のことである。大きなものは、畳一畳分もあってデザイン重視の仕事であれば板面を垂直に立て、人も立って描く。今ではやはりパソコンの発達によって使われなくなってきた。しかし椅子などの場合、実物大で描くこともあり家具作りには便利である。ちょっとした筆圧や、線を二重にひくことによって、立体感をだしたりできるのでパソコンにはない便利さがある。
この製図板には座の高い椅子が付属しているが、それを使うと怒られたものだ。時々一歩下がって全体のプロポーションを確認してないと良いものは出来ないのだ。
上等のトレーシングペーパーはプラスチックで出来ていて破れることはないのだが、何度も描き直してゆくと真っ黒くなる。後ろで見ていたお調子者の上司のN
さんに「汚いでしょう」というと「いい味出してるねー」との返事。目から鱗が落ちました。このような職場にいられたことは大きな財産である。
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キラニュース
またまたパソコンがらみの話になってしまうが、このニュースはっきり言って苦痛である。もともと販売促進のツールとしてはじめたわけだが、サービス精神というか、好きでもある。また効果も十分にあると思う。しかしいつも、個展の間際になって作るので、DMの製作やら宛名書きとも重なり、本業に手が出せなくなる。実際一度休刊している。
最初の頃は仕事が終わってから夜なべしていたが、ここ数年はDMとニュースに一週間ほどさいている。初日は一話も書けず、タバコを吸うばかり、三日目以降に調子が出て来て、最後はこのまま文筆家になれそうな気がする。おそらく脳の中のソフトを起動させるのに時間がかかるのだろう。ならば日頃から書きためておけばよさそうなもので、毎年後悔するのだが、出来ないのである。おそらくキーボードの操作にも慣れるだろうに。
いずれにしても個展の一ヶ月前というのは、追い込みの疲れも出て来てしんどいときで、慣れない作業は特に能率が悪くなる。出来上がれば喜びもひとしおなのですが。来年こそはしっかり準備しておこう。
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李朝家具
李朝とは朝鮮最後の王朝で十四世紀末から二十世紀初頭に日本に併合されるまで続いた。ちなみに十四世紀末といえば日本は室町時代がはじまる。この李朝時代の工芸品が面白い。
なぜ朝鮮の工芸品が日本人の心をとらえるのかはわからないが、高麗茶碗が千利休などによって侘び茶の道具として珍重され、すでに我々の美意識に刷り込まれているのではないか、となれば日本文化の神髄は室町時代以降少なからず朝鮮半島の影響下にあるといえる。
簡単に歴史的背景を説明すると、高麗が滅び李氏朝鮮が興ったおり、国教が仏教より儒教に変わった。寺院のための壮麗な仏教美術がすたれ、清廉で装飾を排した李朝工芸が生まれた。工芸品の役割自体違ったものとなったようだ。
なるほどとは思うがこれだけではその魅力の十分な説明になってない。一見簡素な中に豊かな精神性がみてとれる。大きな壷はシンプルでありながら大らかな美しさがあるし、小さな水滴には自在な造形性を発揮している。これは日本人好みの空間である。私のような作り手からみれば、よほどの手馴れで精神性高く、遊び心のある職人によるものだと思う。しかし、どのように発生したのかタイムマシンがあれば是非その風土やら生活を体験したいものだ。
この李朝工芸の資料には焼物、絵画、金工などとならんで、たいてい家具のコーナーがある。これは破格の扱いである。『日本美術全集』ならば正倉院の宝物がわずか載るくらいで、李朝家具の重要性がうかがえる。人間国宝の黒田辰秋の残した作品もその殆どが李朝家具にルーツを見ることができる。
実は私も数年前から李朝家具を模したものを作り始めた。伝世する李朝家具は殆ど箱物である。よって私の作るのも箱物であるが、どうせ面倒な箱物を作るなら李朝家具を、という発想でもある。ただし、道具の進歩した分、雰囲気は変わってくる。
今年の夏、京都の高麗美術館に行って来た。動物の浮き彫りに彩色を施したまるでキャラクターグッズのような箪笥があって、「なんでもありやな」と感銘を受けた。そこで私も小枝張り横長箪笥を作ってみた。あまりの手間に閉口したが何ごとも挑戦である。
誰かが李朝工芸の魅力を「大雑把で、おおらか。このようなものを日本人は作れない。だから愛してやまないのだ」と書いていた。本当だと思う。
まだ十分に研究してない李朝工芸について書いたので疲れました。次の機会にまわします。
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* 本来の李朝家具は両班(やんばん)という特権階級の求めに応じて、職人が住み込みで数カ月から数年かけて製作したものだ。サイズやデザインにも注文があったろう。材料は施主が年月をかけて集めることもあった。生木は小割にして乾燥を待ち、その間にできる仕事をこなしていただろう。段取りがつくまでは大工仕事やまき割りを手伝ったかもしれない。息の長い仕事であったはずだ。職人は厚遇されたらしい。
現在流通している李朝家具は、殆ど李朝末期の量産品や古材を使ったリメイク品で、以上のような理由で正確には李朝家具とは呼べません。本物は数が少ないので古物商もお茶を濁した格好です。このような製品は価格もリーズナブルですので、それなりに納得して買えばよいのですが、品質のばらつきが大きく、扉も開けてみて、よくよく吟味することが大切です。
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