Kirra NEWS  no.2

 
豊饒の月

95年9月9日中秋の名月の日、私は月光に浮かび上がった砂浜を千鳥足で歩いていた。やや白っぽい砂と細かい貝殻の帯が美しい。光の具合か、波打ち際は遥か遠くに見える。潮風と素足の感覚が、一歩一歩いろいろな思いを巡らせる。不安と期待、進歩と後退、希望と絶望、緊張と弛緩。しばし夢の世界に入る。そこは矢張、遠いのかも知れない。しかし現実は鍋を片手に、海水を汲みに行く酔っ払いでした。それはこの満月と深いかかわりがあります。

土、日を利用してキャンプに来ていた我々サーフチームは、波のないのに愕然とし、各々今夜の宴の莱を海に求めたのでした。私はその日、最も確実で労せずして手に入れられる陣笠貝を狙いました。沖のテ卜ラポッドにへばり付いた一枚貝です。アワビと同じくサッとナイフを入れないとへばり付いてしまいます。テトラの上をボンボン跳ねて貝を探すのは童心に帰れます。巨大なテ卜ラですから、どうしてもルートが見つからない時は、飛び込んでトラバースします。

初めは闇雲に、徐々に大物狙いとなります。ほとんどゲームのようです。しかし、帰りは大変です。200メートルを泳がなければなりません。重い腰袋は垂れ下がり進みません。中程にさしかかると、今年、湾内で漁師の友人が見た6メートルのサメが頭の中を泳ぎ始めます。ほとんど心労でへトヘトになってたどり着くのです。

その日は皆豊漁で沢山の刺し身が並び陣笠貝は忘れられ、夜も探まった頃、面倒なので海水で煮ることになりました。もう十分腹の膨れた仲間から感嘆の声が上かりました。おそらく今夜の為だったのでしょう、卵巣と精巣がパンパンだったのです。その味は説明したくありません。一同無数の卵子と精子か満月の海中でもつれ合う姿を想像したに違いありません。こうして残りの貝も食うことになり私は海に向かったのです。食卓塩ではいけません。当人か労を惜しまず料理するのがルールです。自然の神秘に触れ宴はますます盛り上がり酔っ払いはまた酒を飲むのでした。


「酒飲みはゆえあらば飲み、ゆえなくも飲む。」 セルバンテス






「杢(もく)がある」と材木商の人達はよく言うのですが、最初はなかなかピンと来ませんでした。なにしろ縮杢、玉杢、虎杢、葡萄杢等など沢山種類があるのですから。簡単に言えば、樹木の不規則な成長によってできる模様で、単独で鑑賞に耐えるものではないでしょうか。

* 一般的に見られるのは、ケヤキ等の環孔材の導管(=年輪)が模様を描くものと、栃のような散孔材か風等でしなって、波状に光って見える縮杢でしょう。このような材は建築では天井板、床柱等に使われますし、家具においても珍重されます。シオジや栗にはこの二つが同時に出ることもあり、天気図に例えれば、年輪は地形を、縮杢は等圧線を表すと言えましょうか。まあ派手な杢は見ていて疲れますし、そこそこにあれば良いと思います。




道ができる

大方町の入野海岸沿いに道ができている。今年中に開通する。一年の週末のほとんどをそこで過ごす私にとって、悲しい事だ。最終的には四万十川に出来た橋とつながるらしいが、なぜそんなに道を作らなくてはいけないのだ。連休や盆には多くのキャンパーで賑わうのに、すぐ後ろを車が走るのか。素晴らしい自然は口コミで伝わり、年々人は増え、毎年県外から訪れる常連もいる。大阪の友人はこれほど美しく荒らされてない浜は日本中どこにもないと言った。すでに小さな道はあるのに、十分なのに。

日本人はやたらと作りたがる。確かにそのような力か豊かな今計を生んだとは思う。しかし時代は変わりつつあるのだ。時には道を作らない積極性もいるのだ。いろいろ事情もあるのだろうが、砂浜実術館等の文化の薫りのするイベン卜もやってきた大方町だけに残念でならない。

つい先頃青野川に河口堰を作る計画があると聞いた。詳しいことは何も知らないので言う資格はないのだが、長良川の一件もあるのに、もう茶番はやめよ、土建国家を返上しろ。四国あたりの国民ならまだまだ騙せるといった魂胆が見える。とは考え過ぎか。いや恐らくそんなことだろう。山に広葉樹を植えて緑のダムを復活させるだとか、労働力の使い道は沢山あると思うのですが。

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植物にめざめる


数年前、中米を旅した。このところ、かなり僻地に行っても日本人の学生がいてそれは結構な事なのだが、バイリンギャル達が流暢なスペイン語で、現地の定食を注文する様を見るにつけ、おんちゃんの冒険気分は一気に萎えてしまうのであった。なおかつ、ついつい仲間に入ってしまうのでした。

そんな訳でメキシコからガテマラに入国するのはジャングルの水路を小船で進む最も一般的でないルートにした。途中ドイツ人三人娘と一緒になり、二日がかりでバスを乗り継ぎ川べりに着くと、そこには矢張り日本人ギャルがいた。後でわかったことだが、京大生で考古学を専攻する大変なガッツの持ち主だった。数日後、彼女は現地人を雇って密林の奥地へと消えていった。

ちょうど良いタイミングで、10人足らずの日米独仏混成チームはガテマラ国境へと2隻の小船に分乗して出発した。驚いたのは、その濁った水が生命に満ちあふれているように感じ、無数の鳥がざわめき、木々が能動的に語りかけてくる様だった。私は今まで人を求めて旅して来たのだか、このようなボジティプな自然を初めて経験し喜びが沸き上かって来た。サハラ砂漠も感動したが、それはそこに生きる民ベドウィンと重ね合わせていたのだと思う。

大きく蛇行する川にはショートカットした水路があってサービスなのか船頭がそこを通ってくれた。宣丁に手が届くほど狭く、しぶきはかかり、急流は小船を歩くほどの速さにする。メキシコ側のボーダーはもう夕暮れで、出国手続きの小さなあばら家に銃を持った兵士がたむろするのは、映画で見た戦時下のべトナムに似て不気味だった。

ガテマラ側に着いたのは暗くなってからで、また小さな家の前に並び入国手続きをすませた。このような場合、語学の堪能さはたいがいマイナスでスペイン語の話せる者は長々とかかる。裸電球の下かった食堂で冷えてないビールで皆盛り上がり、マヤ遺跡巡りの拠点となるフローレスへ行く情報を集めた。どうやらバスはゲリラと悪路で最近は運休らしく、かわりに軍隊のアルバイトの飛行機かあるらしい。その夜は水上のテラスでめいめい横になった。翌朝まあまあの飛行機が来て、ガタゴト道を飛び立った。

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フローレスを夜の明け切らぬうちに発ち、ティカル遺跡へと向かう。最も美しくスケールの大きな遺跡だか、交通の便が悪く訪れる人は少ない。私が一番乗りに入ると、左右の木立がサワサワする。進んでも進んでも発見できたのはシカだけだったが、生命の気配がモウモウとしている。急峻な遭跡の階段を降りて一服すると、そこには縦横に根が張り巡らされていた。薄い表土の上で大木を支える板根、それに寄生するラン達、植物の明確な意志を感じた。リスのように俊敏ではないがカタツムリ位にこの森は動いているのだと。ガテマラの森で植物の時を初めて感じたのだった。


☆昨年メキシコのチアパス州でインディオの大きな暴動があった。白人層と農民の貧富の差は旅行者にも明らかだった。モンゴロイド系の優しい彼らの幸せを祈りたい。念のために、インディオとインディアン違います。インディオの村は日本の山村にそっくりです。

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物作り

木工雑誌を見ていると、かなり奇抜な家具を作る人か沢山出ています。しかし本当にそれで生活出来ているのか疑問です。なぜなら家具は自分の趣味趣向で作るものではないからです。和風にしろ洋風にしろ伝統的な仕事をする方に優れたものを感じます。

私の場合も、好きに作ってはいるのですが、でしゃばらず抑制された美しい形を求めて苦しんでいます。駆け出しの私が何とかまとめ上げられるのはかれこれ二十年美術にかかわって来たからでしょう。絵かきにおいても小説家でもただ好きにやっているのではありません。外界を自分のフィルターを通して表現する。それは自分であって自分でないような感じです。




板をカットする


特に座卓の板をカットするのは重要な仕事です。まず端面の角度ですが、上向きの勾配を付けると板は厚く見え、下向きだと薄く見えます。アメリカの著名な木工家のジョージ・ナカシマは厚い板を下向きの勾配で軽快に見せる技法を好んで使っています。

湯飲みでも口の当たる部分を薄く作れば、全体が軽い印象を受けるのと同じ理屈です。それだけでなく、木の表皮を生かしたデザインの場合、全体のバランスからも決定しなくてはいけません。次に板のアウトラインのカットです。例えば円弧状に曲がった板はそのままでは品がありません。たいがいカットして長方形に近くします。その際どこまで樹皮を残すかが腕の見せ所です。直線A-BとC-Dは必ずしも同一の直線ではなく、ちょつとずらしたり、角度を付けたりします。人間の目は徹妙なものですから。しかし、慌て者は時々切り過ぎて一人叫んでいます。

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今年は初めて漆に挑戦しました。その結果は敗北だったといえます。

日本美術書を開いても木工というタイトルはなく、漆工がそれに当たります。チャイナとは陶器を、ジャパンとは漆を意味することをご存じの方も多いでしょう。本格的に木工をするなら避けて通れないと思ったからです。

漆が乾燥するためには湿度を必要とします。そのため大さな破風呂を作りました。道具も買い揃え不退転の決意で取り掛かりました。拭き漆という技法で、布を丸めたもので薄く延ばしてゆくのです。木目が実しく浮き出て来て、なおかつ特に技術を要しません。問題は、漆にカブレるかどうかです。

私の場合、二日後から痺くなり始め、腫れを伴って赤くなりました。しかし前述の決意であったため続行すると、耳の後ろなどにも広かり、熱も出てダウンしました。一方月はど後に、耐性が出来たのではと期待しつつ作業したのですが、やや症状は軽いと感じたものの、また病院に行くことになりました。木工関係者に言わせるとジワジワ慣れるそうですが、医者は耐性が出来ることなどないと言います。どちらも真実と思います。

そんな訳であっさりと諦めました。なにより仕事が出来なくなるのがいけません。手間もかかり、高価な物になることが今の制作ポリシーに合ってないとも思います。幸い漆と酷似したカッシューという塗料があります。しばらくはそれを使いますが、またいつかチャレンジすることでしょう。




引き戸

古くからのスポンサーから下駄箱の注文があった。引き受けたものの、憂鬱だった。そのようなきちんとしたものは作った事がない。何しろ戸が開いたり閉じたりしなくてはならないのだ。まあそれでも最近技術も向上してきたので、資料を読みながらとりかかった。

和風の建物なので引き戸の本格的なものをと最初から決めていた。しかし箱があり、その上下に溝があり、そこにすんなりとはまるように戸の骨組みがきて、その中には溝を切って幕板が入ってなければならない。頭が爆発しそうだ。ほんの数ミリの寸法ミスか命取りだ。むいてないのである。材料も癖のない、よく乾燥されたものを使う。狂うと箱物として機能しなくなるからだ。現在、ムクの箱物がほとんど見られないのはこのためだ。良材を大量に使うし、重くなるのも御時世に合ってないようだ。そして大工が鬼の名を当てると下駄箱は完成していた。

本体にはシオジ、扉には桜を使ってある。なにより感動したのは出来栄えもさることながらその操作フィーリングである。引き戸はカタカタ引っ掛かって面倒なものと思っていたのだが、これはかなり重い扉にもかかわらず、指先に適度な負荷を感じさせスーツと動いてトンと閉まる。大袈裟に言えば日本庭園の鹿威しのようだ。つまり触発と聴覚で味わえるのだ。日本の文化の素晴らしさを再発見した気がした。

これに比べ開き戸のなんと野蛮なことか。引き戸は機能的にも腰の位置を移動させずに出し入れができるのが有り難い。ちゃんと作られたのは、扉をはずすのも実に簡単です。ちなみに扉に何枚かはめ込まれた幕板は固定されておらず、湿度が上がれば閉まり、下がれば開き風を入れます。まあこの話はあてになりませんが。




天板の塗装

私の家具はほとんど天然のオイルを浸透させて仕上げています。暖かな自然な風合いで、時とともに落ち着いた色になります。塗膜を作らないのでウレタン塗装のように傷で白っぽくなったり、角が剥げたりしません。しかし水に弱いという欠点があり、水割りのグラスを一晩放せするとシミになります。

潰透性のウレタンで上塗りすると防げますが、不思議なことにハそのような加工をすればするほど、プラスチックのような冷たさが発生するのです。ここはひとつ、寝る前にテーブルを拭くようにしましょう。たまにシミを作っても良いではないですか、家具はあなたの生活と一緒にあるのですから。

あんまり汚くなったらもう一度研ぎ出せますよ。もちろん防水加工も引き受けますが。

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