Kirra NEWS no.3 |
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イサム・ノグチ
イサム・ノグチは好きな彫刻家の一人である。
昨年、彼と北大路魯山人の展覧会があった。ちょっと軽くて才能豊かなところが二人の共通点だ。イサムの作品に木製のスツールがあった。しかし彫刻であって家具ではない。座り心地も良さそうだしデザインも面白い。なぜかと言えば、材料の使い方が贅沢過ぎるのだ。
木工においては、材料の味を生かすことも大切だが、効率の良い木取りをして無駄の出ないようにしなければならない。あんまり節約するのは失敗の元だが、一本の木からまったく非の打ち所のないテーブルを一つ作るよりも、そこそこのテーブルを二つ作るのが私の木工だし、腕の見せ所だ。
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ジョージ・ナカシマ
ジョージ・ナカシマは日系二世のアメリカ人家具作家である。7年前に85歳で亡くなった。木の持ち味を生かした日本的なシンプルなデザインで、ロックヘラー家をはじめ幅広い顧客層をもつ。私も、彼の考えに大賛成でコピーと言われても仕方のない家具もある。しかし、そのようなデザインコンセプトで作れば、似てくるのは当然だし、むしろ多くの人がそうするべきだと思う。
ただ彼の家具は完成度も高く、ウォルナットとかチークといった堅くて重い材でできているので、木というより石にも似て、それなりのパワーを家にも要求するのである。日本でいえば数寄屋造りの屋敷しか合わないのではと思う。アメリカ以外でも徳島県の桜木工所が志を受け継ぎライセンス生産をしており、家具屋で買うことが出来る。
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国境物語
ここ数年どこにも行ってないので、昔の話で恐縮ですが大学の卒業旅行の話です。観光地化されてない国々の国境通過はそれぞれが敵対していることも多くスリリングでロマンに満ちています。
当時モロッコからアルジェリアに一般の旅行者が抜けるルートは地中海沿岸をぐっと内陸部に南下してサハラ砂漠をかすめるフィギッグ→ベニウニフのルートしかないと言われていた。しかもアルジェリアのビザは東京の大使館でしかとれず。地図をたよりにたどり着いたそこは民家のようなたたずまいだった。おまけに文書はタイプ打ちしか受け付けず、郵送もだめだった。おかげで何度も足を運ぶことになった。
昼前にオンポロバスはフィギッグの街に着いた。アトラス山脈を超えると砂漠地帯でどこも赤茶けている。何もない一本道を20キロも歩かねばならず、とりあえず食料を買い、出国事務所に急ぐ。3人のアメリカ人がそのまま国境へ向かっているので教えてやり感謝される。彼らは往復30キロの無駄足をせずにすんだ。
事務所にはすでにフランス人のカップルがフォルクスワーゲンのバンで到着していた。彼らにモロッコの感想を聞くと散々であり二度と来たくないとのたまう。ジブラルタル海峡を超えてタンジール港に着くと自称ガイドの暇人に2重、3重に取り囲まれ、最初の洗礼を受ける。そこが面白いのに、リゾートを求めてこんな辺境の地に来たのだろうか。軟弱者は外人にもいるもんだと知った。フィルムケースに入れたオレンジ色の砂を見せて、「これがサハラの砂や。フロム マイ シューズ。」一なんて談笑する。なんとか会話は出来ても外人同士のお喋りにはついてゆけない。だがフランス人の車で国境を越えることになったようだった。
一同、出国事務所を出て車に乗り込むが、最後のリュックをさげた私にフランス男は、もう重量オーバーだというジェスチャーをする。すぐに人種差別だとわかった。以前にも似たような経験があった。特にフランス人はこの手のイジクソをする。のこのこ付いて行った自分が情けなかった。もともと、この国境を徒歩で超えるのが旅のハイライトだったのに。
しかしなんとも偏狭で貧しい精神のなせる技であることか。アホらしいと、歩き始める。スペインで一緒になったオーストラリアのウィレムやカナダのカップルならどんなに疲れていても私をおいていかなかったと思う。
個々人の好き嫌いは別として、人種、民族、宗教等の差別は想像力のなさ、偏見、コンプレックス、無知によるものだ。その昔、インカ帝国を侵略したスペイン本国ではインディオが人間であるか否かを本気で議論したというから、その無知と傲慢さには恐れ入る。むしろ現在では、文明と離れた人達に輝きを感じる。
ほどなく奴らは追い越していった。もともと歩くのは苦にならないし、ゆっくりと砂漠の景色を堪能した。まだ外人が珍しいのか、村の子供達はシャイでモロッコで一番好感が持てた。空気は乾燥しきっていて喉に熱風が吹き込む。大人は羊毛の分厚いガウンを頭からスッポリかぶっているがそのほうが快適で体力の消耗も少ない。
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4時間程で兵士が一人だけのモロッコ側の国境に着き最終の手続きをする。モロッコの通貨がまだあるのを知ると、街に戻って使って来いとしつこい。どうにでもしてくれと差し出すと、えらく機嫌を損ねて、今度は靴下までぬがされて調ベられる。このようなトラブルか一番怖く、ややひきつる。結局お金は彼のデスクに収められ解放される。
ほどなくアルジェリアの入国事務所に着くと、先行の5人が足止めをくらっていた。大きな建物で係官と兵士が何人もいる。車での通過ということで念入りに調べられているとのことだったが、彼らの暇につきあわされていたのかも知れない。私の所持品検査も、興味深々ですすめられたからだ。この国境を超えるのは多くても1日数人なのだろう。兵士の一人がお前の懐中電灯はつかないぞと言うので、リュックの中でスイッチが入っても困らないように、電池を一個逆さまにしているのだと実演すると大いに感心された。もっと面白いことがあったのに紙面に書けないのが残念だ。日本人は密輪などのトラブルが少ないので、すぐに終わって別室でミントティーを御馳走になった。さらに5人はかなりの金額を強制両替させられていた。闇のレートより極端に悪く、国内で使い切ってしまわなければ紙くず同然だ。私はスチューデントカードを打っていたので免除された。
お先に失礼した時には日はとっぷりと暮れていた。野犬を追い払いながら遠くの明かりを目指して歩く。ベニウニフの街まではそうかからないはずだ。
時間も遅かったので、ホテルも見当たらず公園で寝袋を取り出していると、彼らも到着し反対側で寝るようだった。そのうち2人のアメリカ人がやって来て今日のことをわびて、一緒に寝ないかと言ったが、心細いものの意地もあるのでお断りした。今回は正義か勝利したのだが、このようなことは人生では稀である。しかし、最後に彼らはわびに来た。こんなことは日本人にはちょっと出来ないのではないのか。大したもんだと今になって思う。
翌朝まだ暗いうちにたまたま停車していたトラックに乗せてもらって、ベニの街を後にした。その時はモロッコ以上にお酒の飲めない国に突入したことを知らなかった。酒場のような雰囲気で髭ずらの男たちが盛り上がっている、そこは甘いもの屋なのだった。ある日、小ぎれいなスパーマーケットで買い物をしていて、オオあれは酒ではないかと近づくと、そのコーナーだけ電気が消え営業を終わっていた。酒断ちの旅は続く。
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怪我
昨年は2度も医者に行かねばならないケガをした。
1度目は前回の個展の一カ月前に電気丸鋸で作業中、材料が跳ねて利き腕の親指を骨折した。終わったと思ったが、数日安静にして案内状をデザインし、小物から作り始めてゆくと案外時間のロスはなかった。ただ毎回3分の珍察に1時間以上待たされるのには閉口した。爪は生えてきたものの割れたままで羊の足と呼ばれている。
2度目は手押しカンナ盤の刃を交換中右手を切った。内部と外部を縫ってもらったが筋肉に平行に切ったためすぐに回復した。職人の勲章とも言うが、私が思うに、ただ純臭いだけでプロとしては耽ずかしいことだ。仕事は止まるし、指を飛ばすと生えて来ないので後々因ってしまう。いずれのケガもやや精神の安定を欠いている時に発生している。以後、そのような時に危険な仕事はしないようにしている。以後、まめに掃除をするようになった。事故の発生も経験を積むことで抑えられると信じている。
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きざし
難しい問題なので上手く書けないが、このごろ、たまにマスコミで物、カネの世界から精神の世界へと変わる兆しが見えてきたと伝えられている。つまりは老人が増え、福祉について真剣に考えなければならなくなったこと。社会の中で心に問題をもつ人が増えてきたこと。ゴミを減らす動きも本格化してきた。
急速な温暖化、オゾンホール。オーストラリアの一部ではすでに子供は着衣のままサングラスをして水浴びしている。20年後には日中は室内でも紫外線からの防護服がいるらしい。花粉情報にオゾンホール情報が加わるのはすぐらしい。そして酸性雨、エイズ、O−157と枚挙にいとまがない。
おそらくこのような一見バラバラな問題が心の真の豊かさ、精神世界への回帰というインスピレーンョンを多くの人に与えているのではないか。この思いは先進国のすべてに共通しているらしい。この兆しが本物であることを祈りたい。
しかし日本は官僚の汚職、住専問題、米軍基地問題、まだまだ作られる無用なダムや港といった公共工事等、情けないことばかり目についてしまう。わが国は良識ある働き者の一般市民によってのみ支えられているようだ。その財産を、政治家や官僚が食いつぶす、と言ったら言い過ぎだろうか。今、日本の未来はちょっと暗い。政治も大きく変わるかもしれないが。
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カービング
彫刻用語では石彫のように削り取る作業をカービングという。逆に枯土を盛って裸像等を作る作業をモデリングという。木工はまさにカービングである。つまり、一度切り取ってしまったものはくっつかないのである。そして広葉樹は一期一会、同じ木目はまたとないのだ。この二つの条件が私の木工を難しくしている。
針葉樹なら似たものを確保できるが、広葉樹で材料取りを失敗すると、全てがパーなのだ。特に箱物、6面体を作るのは材料に大きな一本の木を確保しなければならない。同じ樹種でも木味は大いに違うからだ。もともと大ざっぱな性格なもので、非常に煩わしく感じるが広葉樹の魅力は捨て難いのである。最近ミスは少なくなったが、なかなか満足には至らない。反省点はメモ残すようにしている。
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ダイニングチェアー
ダイニングテーブルと同時に椅子も発注された時には同じ木で作る。何がいやだと言っても、この椅子作りが一番いやだ。4脚も同じものを作る面倒さもさることながら、だれが決めたのか、椅子は労力の割に安いのである。
一般にテーブルと椅子4脚は大体同じ値段だ。しかし、椅子は小さなテーブルであり、背もたれがついている分、構造は複雑だ。実際部品点数も多い。しかも、小さな部材で強度を出すため、より精密な加工が必要だ。この価格設定は大量生産のせいだ。材料の使用量で決まってしまうのだろう。
例えば磨きの作業だけでも、今回の個展で作ったダイニングチェアーは16個のパーツでできており、一個のパーツは6面体であるから、その全てにサンドペーパーをあてると、96回であり、4脚だと384回。さらにサンドペーパーはl回だけかけるのではなく、中目の次に細目、濡れ雑巾で拭いて木目を毛羽だたせた後、さらに細目をかける。都合4工程だ。また面だけでなく、辺にも加工が必要で手の触れる角はカンナで面取りをする。天文学的な工程数となってしまう。
さっさと作れば良いのに、職人になりきれない私は、一仕事終えるたぴに、こんなことを考えてため息をつくのである。まあ、出来上がってみれば充実感はあるし、品物も苦労しただけのことはあるのですが。
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