Kirra NEWS  no.7


和ロウソクの世界


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今年は燭台を製作しようと思い、和ロウソクを買ってきた。

点火してみたところ炎が普通のロウソクの3倍近く上がりその明るいことに驚いた。これは、芯の構造によるもので、和紙で円筒を作り、さらに生糸に撚をかけて巻き上げてある。芯の太さは全体の直径の半分近くある。炎に独特な揺らぎ発生するのだが、目を細めて見ると瞬時に大きくなったり小さくなったりしている。この残像効果で和ロウソクは明るいのだろう。

また長持ちすると聞いたのだが実験の結果同じ直径のロウソクと変わりはなかった。感じたのは、ランプのような原始的な明かりではなく、ホヤを発光させるランタンのように、機械に近いということだ。おそらくハゼの実のロウを最大限生かす知恵なのだろう。
まあ理屈はともかく和ロウソクを手に取るとその造形的な美しさに惚れ惚れするのだ。


【残念ながら燭台は出来ていない。いつも計画の半分位しか実行できていません。】



二個作り

今年、同じ飾り棚を同時に二個作ることを試みた。機械のセッティングなどの手間が省け、「一個も二個も同じや。」とはいかないまでも、1,5倍くらいの労力ですむのではと考えたからだ。これは大きな間違いだった。シンプルな飾り棚だが2mの板が7枚必要だ。都合14枚、朴の木を使った。似通った木目で乾燥材をそれだけ在庫しているのは私の場合、朴か塩地くらいしかない。

杉や檜ならば、同じ場所で採れた同じような太さの木が木材市場の土場に積み上げられていて、それを製材すれば同じ材が得られる。しかし昨今、広葉樹となると多くて数本、連れの木があるだけだ。こうなると比較的おとなしい木目の朴でも木目合わせは大変である。棚の左右の側面は丸太から挽いた時、隣り合った板を使いたい。棚板は同じものを使うか、徐々に変化するようにする。こうなるとパズルのようで壁面に板を並べて頭をかかえる。ただそれだけならわけもないのだが、幅が30cmの板を20cmに切って使うのは論外だし、あまり上等の材は棚にはもったいないなどとギリギリの所で妥協点を探す。つまりこの苦しみが二個作りだと2倍どころか3倍にもなるのだ。
* いざ製作に至っても問題が出てくる。各々の似たような部品を色チョークでしっかりと印をつけておかないと、せっかく考えた板の配置がごちゃまぜになってしまう。実際私はそれぞれの側面を取り違えてしまい、お客さんには分らないだろうが、落ち込んでしまった。

結論として手間のかかるものは一つ一つ作るべきである。次にはより良いデザインが浮かぶかもしれないのだから。スプーンなら数十本、椅子なら4脚が限度だろうか。

先日椅子の注文を15脚程うけた、貧乏な木工家は、こうゆう場合結構集中力も途切れずもくもくと作るのである。




木工の時間

高知のイラレのお客様には明日にでも品物が欲しいと言われるのだが、木工の時間はもっとのんびりしているというか、ちょっと違うのです。まず前段階、私の粗末な材料でも樹齢百年をこえるものはざらにあります。そのような材を一晩考えただけで切り刻むのは考えものです。次に生木は製材してから自然乾燥に3年から5年、人工乾燥と慣らしに4ヶ月程かかります。製作に入っても、部品を仕上がり寸法の1割増し位の厚みに荒取りして、2週間程放置して狂いを確認したうえで仕上げに入ります。もっとも製作にかかる時間は一瞬で、その後は3代、百年にわたって使われるのです。

もし欅の丸太持ち込みで座卓を作ることになれば5年はかかります。その間にお客様が死ぬこともあるだろうし、私も同じです。そんな時間なのです。

もとよりこんな考え方をしていたわけではなく、材料のストックが増えるにつけ仕入代もかさみ、また思った程製品が作れるわけでもなく、寿命が分かってりゃあ仕入れは随分と楽なのにと、ふと思いました。確かに木工をやっていると妙に達観するところがあります。ときどき商業デザインの仕事もやっていたのですが、木工の大作は年に2、3点しか出来ません。20年やってもしれたものです。お客様にも失礼だし木工だけでいくことにしました。

このように私達の人生は木の周りをちょっと通り過ぎるだけです。注文する時は参考にして下さい。






栗は高知の市場では比較的ポピュラーな木である。しかし大径材が出ることはめったにない。そもそも枕木として大量に伐採されたし、園芸用としては大きくなってはその実を収穫しにくいからだという。山内円山遺跡では栗を栽培し主食として生活を支えていたらしい。

栗は腐りにくく枕木の他、建物の土台に使われている。内部に含まれるアクが強いからである。製品を作っても後でこれがシミになって悪さをするので、浴槽につけて実験したのだが、頻繁に水を換えても3ヶ月以上茶色く濁ったままだった。大きな材を風呂に入れるわけにいかないので、栗は雨ざらしで立て掛けて乾かしているが地面は真茶色になるのだ。

*その木目は男性的で荒々しいといわれるが、私はタモなどと比べると艶っぽくて女性的で日本的だと思う。好きな木の一つだが、なかなか目のこんだものは見つからない。

数年前、意外に安く直径70cmの4m材を手に入れた。私はまだ競りに参加する権利をとってないので 製材所のAさんに頼んでいる。製材してみると申し分ない木目だった。ただ1mm程の穿孔虫の穴がたくさん開いて、それが安値の理由だと分かった。木口を見てプロ達は知っていたのだが、誰も教えてはくれない。材木商にとっては大きな痛手だろうが、私は侘びた感じで気にならなかった。美人にソバカスもいいももんです。

後日、Aさんに「えい木やったねー。」と言うと、「アホー、荷主には中が虫だらけで腐っちょって、薪にもならんかったと言うがぞー。」と教えられました。





カナダ再訪

3年前カナダに旅行した時、現地の木工家を訪ねた縁で去年カナダの木工フェスティバルに招待された。招待といっても全て自前である。お祭り気分で出かけたのだが、なかなかハードなものだった。世界各国から、とは言ってもやはりカナダとアメリカが多いのだが、二百人程が集まって1週間程制作に没頭するというものだ。

6月の心地よい季節、カナダの真ん中の湖畔の大学の施設で行われた。厳選したメンバーとは言うが、確かに海外の木工誌で見かける顔もあれば、どう考えても、近所のおばちゃんのような人もいる。ただここでは近所は百キロ位離れている。また木工家ばかりでなく、鍛冶屋や染織家、絵描きもいる。このような人たちが適当にジョイントして制作するのだ。始めからグループを結成して計画を立てて乗り込んで来る者もいれば、行き当たりばったりもいる。勿論一人でやっても構わないし、朝からビール片手に釣りをしても問題ない。作品は数点仕上げるのが普通なので、手が空けば別のグループと合流する。

最初の二三日はたいそうきつかった。以前日本の木工家の研修に参加したことがあるが、日頃の技をさらけだすわけだし、初対面では皆消耗してしまう。言葉が通じないのでなおさらだ。私はあちこち旅行してブロークンイングリッシュには自信があったのだが、それは相手がホテルのフロントだったり、旅慣れていたり、理解しようと努力する人たちだった。一般の人にはごく簡単な単語も正確な発音でないとまったく通じないことがあった。それでもアメリカ人のくせに漆の専門科もいて徐々に楽になった。

材料と基本的な道具もあり、私は事情を知らなかったので手ぶらで参加したのだが、多くの人が自前の道具を持ち込んでいた。道具自慢も交流のうちだ。

作る物は木工というよりアートで、飾り物が多い、椅子といってもワニの形だったりする。ほとんど鮮やかにペイントされる。かなり抵抗があったが出来た物はそれなりに素晴らしい。こちらの広くてモダンな家には合いそうだ。私は、あちこち手伝いをしながら照明とコラージュを仕上げた。

最終日にオークションをして売り上げは2年後の開催に充てられる。ロスからもバイヤーが来て相当な高値で取り引きされる。制作者も参加でき、私も欲しい物があったのだが手が届かなかった。小物を数点手に入れた。こんながらくたが売れるとは大変なカルチャーショックで、若い時にアメリカで勝負するべきだった。

翌日、三々五々メンバーは引き上げてゆき、私は予約してあったフィッシングキャンプに参加した。相当北に移動したのでオーロラを堪能できた。昨年は11年に一度の当たり年だったらしい。

前回、カナダについて散々褒めちぎったのだが、今回3週間程滞在して何かしら空虚なものを感じた。それは人陰もまばらな住宅街を歩いていて感じたのだが、爽やかな気候に、整然とした町並み、しかし土地というか風土に人々との関係が希薄なのだ。

まあ、それもそのはず新大陸に白人が入植して二百年である。友人はおばあさんの代にロシアより移住したと言っていたので、この町の歴史は百年位ではないだろうか。西欧人が、非常にしっかりした価値観というか倫理、理論を持っているのは、ルーツである母国を離れて自分を見失わないためだと思う。そこで新たな入植地にその土地特有の風土を無視して母国を再現しようとしている。

これは、はるか縄文の昔から住み着いている日本人にとって不自然にうつるのは当然だ。しかもそこは、そもそも先住民の土地である。ネイティブアメリカンは現在居留地に押し込まれて、多くが風土と共にある生活を失っている。友人達もそのことには触れたがらない。あと百年もすれば土地と人も馴染んでくるのかもしれないが、先住民の祈祷師の呪縛から逃れられないかもしれない。



製品の値段

私の製品の値段は高い高いと言われながらも、売れているので適正だと思っている。その値段の付け方は実は適当である。これは半分本当です。ダイニングセットのような定番商品はだいたい決まっていて、仕入れと日当から計算するが、木のカーブを生かした座卓等は日当と全然関係ない。つまり元々形の良い板であれば、迷いもなく両端をスパスパと落として仕上げに入れば良いのだが、妙に不細工な板だと三日もかけてあちこち切りまわったあげく、やっぱりパッとしない。相当に安くしても売れ残ったりする。作家がスランプの時にのたうち回っても1行も進まないのと同じだ。まあ、最近は知恵もついてこのような板にはすぐには取りかからず、時期を待つことにしている。

つまり売れる値段が適正価格なのだ。そこでどうにも採算が合わない物からは撤退することになる。その一つの例は箸である。意外に手間がかかるのに、値段はしれている。専門化、量産化しなければとてもやっていけない。

人間国宝の黒田辰秋も「お椀を作りたいのはやまやまだが、床に飾るものじゃないからなー。」言っていたらしい。それを聞いた白州正子が志賀直哉や川端康成などを誘って頒布会を作り、まとめて発注したエピソードがある。大家といえども木工家の台所事情は厳しいのである。



 
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