Kirra NEWS  no.8


キズ

例えば椅子の座のお尻が当たる部分を彫り込んで、なだらかに凹ませる場合、最初からカンナで薄く削っていたのではらちがあかないので、機械やノミを使って粗彫りをするのであるが、無論、仕上り面の一歩手前に到達するのが理想である。厳密にいえば木目の関係で意外に奥まで影響をおよぼしていたりするので三歩手前でしょうか。

ただし、王様に献上する品物を作っているわけではないので、しばしばそのラインをオーバーする。つまり能率を考えるとそうそう慎重にはできないのだ。さてそこからが問題だ。少しでも工作の経験のある男どもならわかるだろうが、そのキズを消そうと周りを削ってゆくと、全体のバランスが崩れて、目も当てられなくなる。正確を期するのならキズの深さだけ全体を掘り下げなくてはならない、板厚に余裕がなければ新しくやり直さねばならない。

このようなときは、ほっておくのが一番だ。仕上がってみると意外に気にならないものだ。些細な事で傷口を広げる人生にも似る。私はこの奥義に気付くのに数年、実行できるまで数年かかった。これがプロになることか。




日本語ガイド

今年の春、三人の友人とベトナムに行った。二十年ぶりのグループ旅行だ。実は、これには打算があって、四人だと物価も安いし、憧れのタクシーに乗って効率良く観光出来ると思ったからだ。宿泊にも有利である。ちょっと優雅な旅を夢見ていた。しかしいつものスタイルは変えられず、到着早々、路上で食べる一杯三千ドン(三十円)のうどんに連れは先行き不安そうであった。

南北に細長い国土のまん中にある古都フエは、川べりに点在する霊廟を小舟で一日かけて巡るボートクルーズが観光の目玉だ。さっそくツーリストオフィスに予約に行くと、なんと日本語ガイドが雇えるという。実はガイドについては長年のコンプレックスがあった。世界各国の名所旧跡では欧米人のツアー客には必ずガイドが付いて説明をしている。英語やフランス語がわかれば御相伴に預かれるのに残念だ。もとより日本語ガイドなんて滅多にないのだが、雇える身分でもない。料金は30ドルくらいで私にもやっとその時が来たと、喜んだ。一つには、気苦労のたえない料金の交渉やなにかを、一手に引き受けてもらい、大名旅行がしたかったのだ。

翌朝、時間通りに人の良さそうな青年が現れたのだが、その日本語は私の英語力と大差ないように思われた。結論から先にいえば語学力はともかく、余程その文化や歴史に精通してないと月並みな説明はむしろ集中力をそいでしまう。一人で森の中のマヤの遺跡にわけいって全身で感じ、分析し、吸収した事を思い出せば、初めての旅にガイドは不要であると悟った。多くの人が映画評を先に読まないのと似ている。*

そんな訳でこのガイドさんはあまり役に立たなかったばかりか、船着き場から離れた霊廟には各々スーパーカブの後ろに乗って行くのだが、その値段交渉にも弱気で逆に疲れてしまった。

帰路につくと船のエンジンが故障し漂流をはじめ、たまたま通りかかった観光船に拾われた。この程度のアクシデントは楽しいものだが、行きは船頭の奥さんの土産物屋が開帳し、しつこかったので、また一から始まるのかと気が重かったのだが、実に素朴な人たちでリラックス出来た。ともあれ長年のコンプレックスの一つを解消したのだ。

人それぞれとは思うが、私は貧乏旅行が向いているようだ。実はそれなりの道理があって、例えば食事にしてもレストランより屋台なら他人の食べているものを指差して注文出来るし、隣のおやじと身ぶり手ぶりで話もはずむのだ。


*ベトナムホテル事情 
ガイドブックにはホテルは沢山あって予約の必要はないとあったが、シーズン中なのかどこも満室で苦労した。ドイモイが進んだとはいえ社会主義の国なので、部屋をやりくりしてまで、客を入れない雰囲気も感じられた。
泊まるならフランス統治時代の面影を残す、ちんまりした中級ホテルがお薦めだ。停電や断水はあるかもしれないが、外資系の大型ホテルでは日本にいるのと変わらない。個人で泊まればやたら高いこのようなホテルも団体ツアーの旅行会社とは格安で契約している。値段と値打は関係ありません。




椅子のデザイン

椅子のデザインは厄介な仕事である。それは立体だからだ。ならば家具なんて全てそうだと思われるかもしれないが、箪笥など正面図さえ描けばだいたいわかるので、デザイン上では疑似立体と呼べるのではないだろうか。およそ身の回りの物は正面図か側面図どちらかあれば想像できる。椅子はこれがなかなか難しい。人体にそうもので曲面が多用されているからだ。単純な曲面の立体は頭の中で容易に想像出来るのだが、複雑なものは困難だ。

 工業デザインではこのような場合図面を描く前に粘土で模型を作ったりする。椅子は粘土細工には向かないので、以前はとりあえず一脚作っていましたが、同じ木でダイニングチェアー四脚となると材料にゆとりのないことも多く、最初に正確な三面図を描くことにしています。それでも四脚同時に仕上げるのではなく、一脚作って様子を見ます。しかし、いつもながら図面を描くのはしんどく、脚の太さを2ミリ削るか否かでタバコを三本も吸ってしまいます。また、製作者も兼ねているので、この細工は手間がかかるなどと悩みも多い訳です。

私も工業デザイナーのときは図面を描くだけでお金になったものですが、木工家はデザイン料を製品に上乗せできません。もともとデザイン料は大量生産のときに発生するのです。しかしお客様に買ってもらうのですから、大企業が車をデザインするのに勝るとも劣らない完成度が手作りの椅子にも必要です。難儀なことです。





*
クスノキは御存じの方も多いと思うが、昔は樟脳をとっていた。実際製材していると、化学合成のそれとは違い甘い香りに酔いそうになる。用途としてはその防虫効果から箪笥に使われる。確かに虫の入った楠には出会っていない。また、堅くもなく粘りがあるので彫刻に使われる。

私もこんな仕事をするとは思ってもみなかったのだが、美大で最初の木彫実習は楠であった。高知の原木市場にも一度に沢山出たりするので群生するのかもしれない。建築材にあまり使われないので比較的安価である。しかし木目はのっぺりしていて面白みがなく、材料の存在感だけでは勝負しにくい。テーブルにしても、椅子にしても積極的にデザインする必要がある。作り手の力量が試される材であるし、彫刻向きの材である。




家具屋の家具

職業柄上等な家具屋を見つけると必ずのぞく。バブル以降の不景気でメーカーも相当努力していて感心するが、食傷気味である。そして、同じ売り場に私の家具が並んでいたら負けるだろうと思う。なぜなら美少女コンテストのように、思いっきり背伸びして、押しも強いのである。悪く言えば媚びている。各社がお客様の御指名を受けようと必死なのだ。

経験上、営業マンの意見が入っていると思う。「これでは他社に負けてしまう」と。私も企業で自動車のアルミホイールをデザインしていた時、自信作を有能な営業マンに「国内向けにはスマート過ぎるので、もっとエグ味を出してくれ」と言われたことがある。当時は企業内デザイナーで結構醒めていたので、まあセクシーなイタリア車に装着するのではないし、それも一理あるか、と受け入れた。その商品はロングヒットとなってしまった。これは稀な成功例だが。
とはいえ家具屋の商品は少々やり過ぎである。ダイニングセットなら料理がのり、家族が集まって一番良く見えるべきなのだ。花一輪差してない状態なら殺風景に見えるくらいが丁度いい。一生付き合うものですから。私の個展の時も花や雑貨が入るまでは心配になるほど殺風景です。*
家具屋にも勿論良いものもあるが、このようにパッと見勝負が多い。良い買い物をするには本などで勉強して、時間をおいて何回か通って決めるのがよい。

では私の家具を選んでくれるお客様が、皆そのへんを理解しているのかというと、そうでもないと思う。鼻がきくのではないだろうか。




板の厚さ

製材の時に、原木をどのくらいの厚さに挽くかは悩みの種である。厚く挽けば乾きにくいし、フォークリフトを持たない私は動かせない。薄く挽けば、いざ厚いものが必要になれば張り合わさなくてはならない。手間がかかるばかりか見た目も良くない。

製作する物が決まっていれば比較的楽だが、それでも思惑反ってしまい仕上がり寸法に足りなかったりする。かといって厚さ4cmの板を2cmに自動カンナで削り落とすのは、刃も磨耗するし、おがくずも出る。もったいなく、やりきれない作業だ。では帶鋸で二つに割ればよいと思われるかもしれないが、それには挽き代もあるし、狂いも出るので5cmの厚さがいる。

実は丸太のまま寝かしておくのが一番いいのだ。切る時期が良ければ虫の心配もない。しかも水につけておくのが理想である。ドブ川や海水の混じり合うじ汽水域がよい。学術的な説明は省くが、木の中の水分がただの水と入れ替わるのだ。こうすると製材後のたっぷり水を含んだ材が驚くほど早く乾くし、狂いも少ない。あくも抜けてシミが出ることもない。昔、川を筏で運び、河口近くの貯木場に浮かべていたのは、とても利にかなったことなのだ。トラック輸送の発達と、効率化によってあまり見られなくなった。

話はそれたが、このように材の厚みの決定は難しい。規格の厚みに仕上がった乾燥材が中央市場では売られているので、それを利用する木工家もいる。むしろ商業ベースにのせているところはこのやり方が多い。金を寝かせることもないし、保管場所もいらないからだ。しかし製品も規格化されたものになってしまう。なにより原木を買って製材する楽しみは捨てがたいのだ。
近頃は、比較的軽くて小さな木は分厚く挽いて乾燥させ、必要に応じて再度製材するようにしています。





十年経過

早いもので木工をはじめて十年になった。特に感慨もないが最初の5年間くらいはしんどかったなと思う。今でも重くて危険で臭い仕事ですが。なにしろあらゆる物を作るので、独学だったし、やっと技術を習得しスタートラインに立ったという感じでしょうか。

得たことというと、

1、技術というソフトを習得した。
2、道具や機械、材料、工場や倉庫といったものが各方面の御好意に甘えながらも大分整った。3、木材商や機械屋、木工仲間やお客様といった人脈ができたことです。

ただ美術を志したのは高校生の時ですし、以来造型に関わる仕事以外していません。これが大きな貯えだったようです。

最初の二年くらいはほとんど収入もなく、あてもないのに山で木を集めていた頃は辛かった。雪で作業が出来ず、弁当だけ食べて帰って来たこともありました。今は天国と考えなくてはなりません。なせばなる!石の上にも三年!ノ..ですが私にとって、木工は勤め人を含めて六つ目の仕事で、大企業が新事業に手を出しても残るのは五つに一つと言いますから、確率的には妥当なところでしょうか。

*



前のナンバーへ ≪          ≫ 次のナンバーへ