Kirra NEWS  no.12


作文ソフト起動!

 以前、年に一度のキラニュースを書き始める時、自分の脳の作文ソフトを起動させるのに、三日程かかるというのを書いた。今回で12号になるにかかわらず、それは変わらない。いや、歳とってよけいにしんどくなったのではあるまいか。機械と違って人間は初期の能力を、訓練なしには維持出来ないのである。毎日、新聞や本は欠かさず読んでいるのに、作文に使われる脳の領域は違うようである。

何しろ、取りかかるまでに、部屋の掃除をしてみたり、車にガソリン入れてみたりと、大変なのだ。ただし、一度起動が完了すれば、すぐに最高速に達するようになってきています。まあ、その速度はのろいのですが。

それと、非常に多かった誤字、脱字が殆どなくなりました。これはパソコンが勝手に指摘してくれるせいでもありますが。



デザインとは何か

 いつの頃からか、デザインという言葉が、地方でも、また私の営んでいる木工のような仕事でも使われるようになった。本来は、あまり一般的な言葉ではないのですが。

手作り木工品を紹介する雑誌等でも、作者がやたらと『デザイン』を連発したコメントを載せている。このような場合、それは『造形』と表現したほうが良いのではないかと思われる。どうやら木工のような垢抜けない職業のものにとって、ハイカラな薫りがするのであろう。

ではデザインと造形の違いはなんであるかというと、デザインには、お金が絡むということである。また芸術作品にではなく、量産品に使われる言葉である。

仮に私が同じ椅子を百脚作ったとしても、これをデザインしたとはいかがなものか。それは単に製作でしょう。

デンマークの家具デザイナー、ハンス・ウェグナーのYチェアは全世界で50万脚以上も売れたというのですから、これは椅子のデザインの金字塔です。

また、美しく造形するだけが、デザインであるかというと、そうではありません。例えば木製椅子であれば、工場の製作者と構造を研究し、安全に留意し、工程を見直して、コストを下げる工夫もデザインのうちです。

逆に現場との打ち合わせで、「ここの曲線は複雑で、手間がかかるけど、チャームポイントですから何とか採用して下さい」なんて話もあるわけです。もっとわかりやすく言えば、「この部分の手間賃は千円よけいにかかるけど、値段を5千円上乗せ出来るし、上手くいけば、ヒット商品になるかも。そしたら冬のボーナス楽しみでっせ」なんて話をするわけです。儲けて会社を存続させなければデザインなんてないのですから。

デザインの一番有名な例は、若い人は知らないかもしれませんが、やっぱりコカ・コーラのビンでしょう。何となくそそるラインは女性のウエストをイメージしたものといいます。持ち易いという工業デザイン的な利点に加え、意外に中身の量が少ないのにも、商業的な計算があると聞きました。これは、純粋な工業デザインというより、商業デザインに近いのかもしれません。

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では、車のデザインの金字塔といったらなんでしょうか。それは、ドイツのフォルクスワーゲン・ビートル、カブト虫でしょう。第二次世界大戦中に誕生し、つい最近まで生産されていたのですから、すごいものです。当時としては斬新な丸っこいデザインは、広い室内空間を生み、ボディの強度も出たのです。より少ない鉄鋼で作ることが出来るという話も聞きました。その愛らしいスタイルが機能と一体になっていることは、工業デザインの白眉といえるものでしょう。

では、世界中の金持ちのために作られている、イタリアのフェラーリなんていうスポーツカーはどうでしょう。これも確かに、金額ははるし、デザインに違いはないのですが、生産台数も少ないのでどちらかというと、工芸品や芸術品に近いのかもしれません。

日本の製品では、ホンダのスーパーカブなんかが有名です。同じ工業デザインでは七輪なんかも地味ですが、立派なものです。

意外なところでは、日の丸なんかも優れたデザインといわれています。ただし前を走る車にこのステッカーが貼ってあると、だれしも十分な車間距離を開けてしまいます。あんまり愛されてないデザインなのかもしれません。




モデラー

 前述のデザインに関連する話ですが、デンマーク等の優秀な木製家具メーカーにはモデラーと呼ばれる、試作品を作る人達がいて、デザイナーと試行錯誤して量産品に仕上げていきます。彼等は木の特性はもちろん、工場の機械や、職人にも精通していなければなりません。モデラーからデザインの提案があることもあるそうです。そんなわけで、ヨーロッパではモデラーの地位は高いのです。日本には、そういったシステムはなく、そのせいか木の特性を生かした、気の利いた家具は少ないのです。

だから工業デザインの現場でも、殆どモデラーという言葉を聞きませんでした。それにかわるのは木型屋です。図面に忠実に木で模型を製作します。縁の下の力持ち的存在です。

ただ、社長が旧大方町出身の食玩製作会社、海洋堂によって、モデラーの世界が脚光を浴びてきています。カリスマモデラーもいるそうです。ただ、この場合は、造形師と呼んだほうが良いのかもしれません。食玩は現代版の根付けといえましょう。どうもこの分野は日本人向きで、まだまだ発展するような気がします。現代美術作家の村上隆のプロデュースで製作された等身大のフィギアはなんと、一体6千万円もします。

ところで考えてみるに、金を生むのは、このような年季も努力も才能も必要な仕事です。しかし、例えば、非常に職人的ノウハウの必要な金型産業を、日本はその技術も機械もそっくり中国等に移植しつつあります。金型技術は近い将来、中国に教えをこわなくてはならないとさえいわれている。その時、日本人の特技が、コンビニのレジ打ちでは困るのですが。

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こだわり

私のような、変わった仕事をしていると、雑誌や新聞、テレビなんかからよく取材を受ける。これは特に仕事が優れているからではなくて、マスコミの方も、お堅いネタばかりでは困るので、ちょっと一服という記事が必要なわけだ。

その時、妙に腹立たしいやら、困ってしまうのは、リポーターやらライターと呼ばれる方々が、やたらと『こだわり』を連発することだ。ひどいのになると、製品をろくに見もしないで、最初から「吉良さんの家具製作に対する、こだわりはなんですか」なんて聞いてくる。あまりきつい返事も出来ませんが、「いやー、そんなもん全然ありませんよ」と答えてしまうこともある。この場合は、その人の取材に対する姿勢の問題で『こだわり』とは関係ないのですが。

ここまで書いて、うんうんと、納得される方も多いと思います。私は仏教に詳しいわけではないのですが、『こだわり』とは『執着』につながり、妙に悪いイメージを持っているのです。

先日、文芸春秋の誌上で、小説家の村上龍等が『私達の嫌いな日本語』という座談会をしており、読んでみて、目から鱗が落ちました。つまり、こだわりという言葉は、「そういつまでもこだわるなよ」とか悪い意味で使うのが普通だというのです。あーすっきりした。

ちなみに、「とても綺麗」なんていいますが、これも、志賀直哉の時代には、「とてもやってられない」「とてもかなわない」なんて風に、否定的な文脈で使う副詞だそうです。

まあ、そうはいっても、大手出版社が平気で『こだわり』を連発している現状では、もう立派な日本語なのでしょう。しかし、それは味噌も糞も一緒にした日本語です。

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沢田マンション

沢田マンションはテレビや本なんかですっかり有名になって、東京の友達も知っているくらいだ。

知らない人のためにちょっとだけ説明しておくと、高知市薊野にある、オーナーが手作りでちょっとずつ増築していった5階建てのマンションで、屋上にはクレーンもある。どうやら違法建築らしい。

しかし、高知に近年これに勝る建築物はないように思われる。変わり者のオーナーの酔狂と見る向きもあるが、いやいや、高知のガウディーという評価もあながちオーバーではありません。サクラダファミリアのような異空間なのだが、親しみやすいのです。

各部屋のベランダというかテラスが、そのまま道として繋がっているなんて驚くべき発想である。ちょっと長屋っぽいわけで、開放感はあるし、カーテンを引けば、プライバシーも守られる。犯罪なんて起こりそうもない雰囲気なのだ。かと思えば、何となく寂しげな場所もあって、面白い。

考えてみると、物事には表と裏、建物には南もあって北もあるのだから、何となく暗い場所があるのは当たり前ではないのか。今のマンションは全部の面積をお金にしなくてはならないので、無理が生じるのだろう。

機会があれば是非住んでみたいものだ。ちなみに、市の職員が建物の調査に訪れると、住民がブロックを投げ落とすという伝説がある。
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おまけであるが、私のよく行く場所で、朝倉の金高堂書店も面白い。大きな本屋が裏路地にあって、隣のマンションや近くの民家も個性的だ。夜行くとちょっとスペインみたい。本の品揃えもいいのである。



きんこん土佐日記

 高知新聞の夕刊の4コママンガ。このほど、単行本になって出ました。面識はないのですが、家は同じ、いの町です。私は当初よりこのマンガが好きで、全国区でも通用すると思います。出張なんかで、他府県のローカル紙なんか見ると、どだいマンガになってないのもあり、高知におってこのような質の高いマンガを見れるのは幸せなことです。土佐弁まるだしの、高知スペシャルなところもえいちや。沢田マンションに次ぐお国自慢でした。


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