Kirra NEWS  no.4


楓(カエデ)と栃(トチ)

カエデとトチは共に白っぽい材で導管はない。しばしば波打ったような縮み杢(もく)を発生する。また、通常の材は心材(赤身)の部分か上等とされるが、これらの材は逆で辺材を使う。心材は腐りやすく、乾燥時の収縮が激しい。丸太も木口を見て、なるだけ赤身の小さなものを買う。藍色のしみが入りやすく、旬の時期に切られたものを直ちに製材を乾燥させる必要がある。

* 両者はその色合いから女性にたとえますと、カエデはスーツの似合うキャリアウーマン。派手さはありますが、上品なものです。しかし、大変なジャジャ馬で乾燥が難しく、狂うし、加工も困難です。一方トチはマチスの絵に描かれているような、色白で肉付きの良い美人です。乾燥は容易で加工も楽です。暖かみかあり、白っぽい座卓がお好みならトチが一番です。




ゴミ

自画自賛ではあるが、私の伝統工芸に近い仕事では、製造業でありながらゴミがほとんど出ない。まず大きな木片はマキストープで燃やされ、冬場の暖房を賄い、おが屑は果樹園で果物をおいしくしている。サンドペーパーや道具、塗料のパッケージがゴミになるくらいで、生活ゴミよりずっと少ない。

これは意外な発見で、以前オブジェを制作していた時は、ペンキや化学薬品、金属、その他の複合材等、相当のゴミが出た。始末が悪いことに、薬品等は処分の仕方が分からず、今でも仕事場を狭くしている。

つまり伝統工貰の材料は処分するにも無害というより有用で、ストックしておいても無駄にならない。昔からの仕事というのは理にかなっている。

伝統的な木造建築とプレハブ住宅にも同じことが言えるのではないか。一棟のプレハブ住宅が建つ隙のゴミの量は大変なもので、処分に困る材料も多い。なんとなくコンビニの弁当みたいである。ちょつと目新しいが、毎日は食へられない、パッケージはでっかいゴミになる。

住宅論になってしまうが、最初はピカピカしているが、日に日に汚れてゆく一方のプレハブ住宅に大金、というよりは日々の労働を捧げるのは馬鹿げているし、勉強不足である。しかし、私もこの道に入らなければ全然知らなかった。まあ、大風呂敷でお節介な話ですが、これから家を建てる方は参考にして下さい。




お客様は神様です

高知だけの習慣なのか、お店で難しい注文をすると「探しちゃおきね−」などとよく言われる。なんや銭出すのはワシやといつも思ってしまう。私など自分の高価な製品が売れるなど奇跡に近いことだと思っていて、「よう買うわ」と思いつつ、感謝の気持ちを忘れたことはない。

私自身、美術品、工芸品等時々買うのであるが、ただ好きだからでもあるが、そのような品を日常で使ってみないことには良い製品も作れないと思う。お客様に高価な座卓を売っておいて、自分は酒屋にもらったグラスで飲んでいたのでは研究熱心とは言えない。

話は戻るが、そのような習慣は商人の偉かった時代の名残であろうか。それは経営感覚の甘さ、精神の幼稚さの表れである。私にプロ意識が身についたのは東京でハードなサラリーマンをしていたせいかもしれない。

個展で別注を受ける噂、係の人に「先生、作ちゃって下さい」等と言われると本当に申し訳ない気持ちになる。お金を頂いて仕事をするのだから。




ブックマッチング

* ブックマッチングとは坂を2枚にスライスして本を開くようにパタリと広げて接着し一枚にする技法である。2枚はぎなわけだか、木目は左右対象となり面白い効果を生み出す。左右対称といってもノコとカンナの分が削られているわけで、その表情の違いが味わえる。

私は座卓の天板には一枚坂かブックマッチングしかないと考えている。日系アメリカ人の木工作家ジョージ・ナカシマの命名らしいが、正倉院の厨子の観音開きの弄にはよく使われている。

とりわけ大径材の少なくなった昨今、この技法は座卓作りには福音である。直径50センチの丸太でも材料になるからだ。しかし単なる若木ではいけない。蔽しい環境で少しずつ成長した木でないと、或いは何らかの特徴がないと、味わいのある座阜はできないのだ。






モロッコ

これはこュースNO,3の”国境物語”モロッコからアルジェリアに抜ける前の話である。今でこそパックツアーもあるが1983年頃のモロッコは未知の国で、旅行者の間ではカスバに迷い込んだ女の子が、手足をもぎ取られて見世物小屋に出ていた、やっと両親が彼女を探し当てた時は、すでに正気ではなかった。という話がまことしやかにささやかれていて、スペインではどうしたもんかと、1週間も足踏みしていた。まあこんな話を信じていたわけではないのだが、相当にハードだとは聞いていた。英語は通じないし、イスラム圏である。

スペインからフェリーでタンジールに着くと、メガネにリュックを背負った日本人はたちまち自称ガイドに取り囲まれ、その群衆を引き連れて桟橋を移動する。なんとか安宿に入るが、フロントで確認したホットシャワーが出ない。いつまでたっても水である。抗議して宿賃をまけさせる。カフェで知り合った若者にガイドをして貰うことになった。ちなみにミントティーは糸をひくほど砂糖が入っていて半分も飲めなかった。

不案内で、物価の安い所ではガイドを雇うのも面白い。彼は遊び人で、また港町で西洋が入ってきているせいか、実にスマートであった。たいてい案内料は前金で、後で法外なチップを要求される。アラブでは持てる者からいただくのは普通のことなのだ。タフでない者は、万事この調子なので疲れ切ってしまう。アヘン窟にまで案内されて慌てたが、酒のない団なので案外居酒屋のような所だったのかもしれない。

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列車でカサブランカを経由してマラケシュに入る。大道芸のジェマエルフナ広場が有名だ。夜も更けたころ、ベールを巻いたタロット占いのお婆さんが砂塵の寿う中、地べたにポツポツと座っている。その光景に感動して占ってもらうが、カード晦めくるたびにコインを請求され、「オバアはしっかりしちゅう」と現実に引き戻される.どうせカードも言葉もわからないのだ。

マラケシュは買い物天国で、銀のアクセサリーを少量買う。草製品や絨毯等良いものがある。土産物とアンティークの品質の差は大きい。目利きであれば掘り出し物が見つかるはずだ。このようなとき彼らは決していいかげんな男ではなく、袴りを持っている。こちらが品物に惚れ込んでいれば、むしろ出来る限りまけてくれる。買い物のコツを知れば、旅の楽しさも倍増する。ただし買う意志もないのに、あれこれ質問して相手をその気にさせるのは非常に失礼なことで、残念ながら日本人に多い。そのような人はホテルのショップを利用すると良い。

店員の家で質素な夕食を御馳走になる。モロッコの食事は総じてたいそう旨い。道すがら彼は洋モクを買った。おそらく日給に相当すると思うのだが、アラブ流のダンディズムなのか。カスバの中は危険ではないが物見遊山で歩く所でもない。

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アトラス山脈を越えると砂漠地帯となり、日干しレンガの家になる。最も馴染みのうすい風景に旅情を感じる。人々も同じだ。安宿の食堂でポラれたが、小僧は全然とりあわないし、大した額ではなかったので諦めた。明朝まだ夜中に出発する時、彼は真っ暗な廊下でメッカに向かってつっぷして祈っていた。

別の安宿では、なぜかご法度のワインがあって、大学生連が盛り上がっていた。仲間に入れてもらうと、よく言葉がわからないのだが、一杯おごらせてくれとしつこい。危ないと思いつつも根負けしてOKすると、彼が飲んで私が払った。どうやら「私におごる名誉を君に与えたい」ということらしかった。

旅ではこのような触れ合いが面白い。騙されないよう全てを拒絶して、或いは日本人だけで旅をすれば安全かもしれないが、テレビを見ているのと大差無い。しかし見極める力、NOと言えること、スキを見せないこと。これらが出来ないと危険である。私も相当のんびりしているが、例えば広場で地図を広げるようなことは絶対しない。壁にもたれて地図は小さくたたんで見る。後ろからスラれないように、目立たず、お上りさんと見られないよう。このようなことに気を付けておけば、同じ人間なのて命まで取られることは少ない。

しかしマイナーな旅行誌の最後には尋ね人のページがあって、第三世界で消息を絶つ若者が少なくないことかわかる。”虎穴にいらずんば虎子を得ず””君子危うきに近寄らず”の使い分けは微妙である。

カスバ街道の真ん中にオアシスの町ティネリールがある。丘の上の5星ホテルに足が向かった。安宿ばかりだと疲れるし気分転換にもなるので、たまにはバス、プール付きのホテルに泊まる。それでも日本のビジネスホテル位の料金だ。フロで洗濯したり、手紙を書いたりのんぴりする。ただし、観光で外貨を稼ごうとしているモロッコで唯一酒の飲めるホテル内のバーは六本木と同じ値段で、悔しい。貧乏旅行者は、盃を重ねるごとに酔いも醒めるのであった。

ただ5星は初めてだったので、フロントで聞くとちょっと高かったので、丘を下る。フロントは感じが良かった。私など場違いなようだが、高級ホテルほど居心地はいい。接客業を良く理解していて、恥をかかせるようなことはしない。レストランも同じで、普通にしていればむこうがうまくやってくれる。予算が心配な時はボーイに小声で聞けばいいのだ。

以前、友達とメキシコの闘牛を見に行ったとき、時間潰しに小ぎれいなカフェに入ったつもりが、蒙華なレストランで客も農場主といった感じで、デザートとコーヒーを注文して小さくなっていたところに、アリマッチョの生バンドが素晴らしい演奏をはじめた。どうやら全ては闘牛観戦のためのお決まりのコースらしい。我々のテーブルにもやって来たので、是非と思いつつも、チップの相場が見当もつかなかったので、こっそり聞くと、お上りさんの為にお客も盛り上げてくれて、全員フハフハ言いながら店を後にした。

モロッコの旅は、若かったせいもあるだろうが信じられない事の連続で、一番面白かった。結局心を許せる友人は見つからなかったが、時間が少なかった。またゆっくり旅してみたい。この後サハラ砂漠を見物し国境に向かう。

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